あのアーティストの“子ども時代”とは…?本日は後編!

大事なことには出会い続ける。
たぶん、四十になっても、五十になっても、
出会うんだろう。だけど、
若い頃に出会った大事が人生を決めてしまう。
幼い胸に刻まれた大事に従って、
ひとは生きていくんだと思う。
(宮下奈都『つぼみ』より引用)


 こちらは作家・宮下奈都さんの小説『つぼみ』に綴られていた一節です。ひとの性格は二十歳を過ぎるとほとんど変わらなくなるとはよく聞きますが、それは二十歳以前の『幼い胸に刻まれた大事に従って』生きてゆくからなのでしょう。そして音楽もまた、それぞれのアーティストの『若い頃に出会った大事』が大きな“核”になるのだと思います。
 
 そこで今日のうたコラムでは、これまでの歌ネットインタビューをもとに、様々なアーティストの“子ども時代”についての回答を一挙ご紹介いたします!本日の【後編】では、ビッケブランカ、吉澤嘉代子、大森元貴(Mrs. GREEN APPLE)、井上苑子、MACO、片平里菜、海蔵亮太、大原櫻子の言葉をピックアップ。じっくりとご堪能ください…!

<ビッケブランカ(2018年取材)>
僕は小学校の頃が人生で一番楽しかったと思っていて、そこがピーク。仲良しのみんなで、何の責任もなく、本当にこう…シンプルに人間関係を楽しめていたときですよね。それは恋愛も同じで、僕が小学校の頃、好きだったヤスヨちゃん…。でもヤスヨちゃんはこないだ消防士と結婚したので、僕の初恋は終わりました…。

恋愛でも僕はその時代を一番美しいと思っているところがあって。僕はあのヤスヨちゃんへの「好き」こそ、本当の「好き」だと思ってしまっているわけです。大人になると、もちろん体の関係もあれば…ね? お金もかかってきて。結婚とかはもっと先の話になるとしても、いろんな要素が混ざってくるじゃないですか。

<吉澤嘉代子(2014年取材)>
妄想が激しくて、かなりエキセントリックな子供だったと思います(笑)。おじいちゃんから聞いた話なんですけど、私は近所の公園にいた鯉を自分のペットだと思っていたみたいで、鯉に手紙を書いたこともあったみたいなんですよ。妄想と現実がいつもごっちゃになっている感じでしたね。幼稚園の頃には「せっちゃん」という男の子が夢に出てきて。

(夢で)せっちゃんと私は居酒屋で働いていて、まわりに内緒で付き合っていたんです。それで起きてからもせっちゃんが本当に居ると思い込んでしまっていて、お母さんに「私の彼氏を紹介するわ」って言って、せっちゃんは居ないのにお母さんにずっと紹介していたんです。そしたら、お母さんが泣いてしまって…。せっちゃんの顔がハッキリと思い出せなかったので、その後も、男の子を見つけると「本当はせっちゃんなんだよね?」って話しかけたり、かなり痛い子どもだったと思います(笑)。

<Mrs. GREEN APPLE 大森元貴(2017年取材)>
兄貴がいるんですけど、僕は三兄弟の末っ子で、真ん中と7才差、一番上とは14才も年が離れているんですよ。だから幼い頃は、兄貴が家や車で流している音楽を自然に聴いていましたね。とくにモンパチ(MONGOL800)さんは大好きで、僕が音楽を始めるきっかけにもなりました。あとお父さんも高校の頃、ドラムをちょっとやっていたりもしたし。特別に音楽一家というわけじゃないんですけど、そういうところからいろんな曲に触れる機会が多かったんです。

<井上苑子(2016年取材)>
お母さんが専門学校のボイストレーナーで、小さい頃から私もそのスクールに通うことになったんです。ちょうど子ども教室の生徒数が足りなかったらしく、連れられていって。そしたらオーディションがあり、入賞したら授業料が免除ということで、お母さんに「免除になったら通っていいよ」って言われました(笑)。そこで大塚愛さんの「PEACH」を歌い、みごと入賞することができてスクールに通うようになり、すぐ路上ライブを始めましたね。路上ライブを始めたからには、もうこれしかないんだろうなぁというか、私は歌で生きていくんだろうなぁと思いました。

<MACO(2014年取材)>
小さい頃は、両親がフォークや洋楽をよく聴いていたので、小さいながらに真似して歌っていて、中学・高校生になった時には、学際に出て歌うぐらい、歌うことが大好きになっていました。洋楽をちゃんと聴くようになったのは、中学生の時で、ブリトニー・スピアーズ、ビヨンセ、アヴリル・ラヴィーンが来日したのがきっかけです。

<片平里菜(2014年取材)>
本当に人見知りで内向的な性格でした。独りで絵を書いたり、段ボールで何か作ったり、物語を書いたり…。そういうのは昔から好きでしたね。中学3年の頃から「音楽でプロを目指す」と決めていたので、私の中で学校は正直どうでもよくて、高校の3年間はバンド活動をしながら、歌の練習をしたり、オーディションを受けたりしていました。

<海蔵亮太(2019年取材)>
幼稚園の頃から、毎週水曜日、キャッツというカラオケ屋さんで歌っていました。僕は上に兄と姉がいるんですけど、毎週リリースされるいろんなアーティストの新曲を、僕に歌わせようと二人して持ってくるので、それを覚えなきゃいけないという任務がありまして(笑)。食わず嫌いなしで何でも。

たとえばかつて放送されていた音楽番組『THE夜もヒッパレ』で発表されるランキングの上位5曲ぐらいは、毎週何かしら覚えて歌っていましたね。ぶっちゃけ、小学校の頃なんて、学校の課題もあるのに新しい歌も次々と本気で歌えるようにしなきゃいけないという状態で、もはやカラオケという課題に追われている感じでした(笑)。多分、今以上に忙しかったと思います。

<大原櫻子(2015年取材)>
(小さい頃)歌手になろうと思ったことはなかったんですよ!ずっと女優になりたくて。でも歌は大好きで、子どもの頃から英語の曲だったり演歌だったりいろんなジャンルの曲を聴いていました。一番最初に買ったCDが、ミュージカル「アニー」のものだったと思います。まず、アメリカの映画の方を観て衝撃を受けて、それからミュージカルのCDも買いました。「アニー」は女優を目指そうと思ったきっかけの作品でもあるんですけど、「ハイド・アンド・シーク」っていう、ロバート・デ・ニーロさんとダコタ・ ファニングさんの出演している映画がありまして、その映画もお芝居を始める大きなきっかけになった作品です。

 いかがでしたでしょうか。子どもの頃に夢中だったもの。とりまいていた環境。習慣。幼いながらに抱いていた価値観。様々なものがそのひとの人生の年輪の“中心”となっていることがわかるのではないでしょうか。みなさんの『若い頃に出会った大事』といえば、どんなものですか? それは“今”にどのように繋がっていますか?

【前編】はコチラ!