蜘蛛の糸

夕方の馬鹿デカい公共団地を見るのが好きだ
窓に次々と灯っていく明かり
そこに匂うそれぞれの暮らしの気配
それは俺がどこかで失くしてしまった
懐かしい何かを彷彿とさせて
寂しいような切ないような
言いようの無い感覚が胸に空いた穴を吹き抜けていく

空には紫色の雲が藍色の夜に飲み込まれようとしていて
車のヘッドライトが狭い路地を猛スピードで通り過ぎる
数十センチ隣の死の臭い、ありふれた場所に潜み獲物を狙う闇
蜘蛛の糸のように細い細い日常を伝い歩いている事を誰もが忘れ

レイプされて自殺した少女、親に見捨てられた部屋で餓死した幼子
介護施設の窓から飛び降りた老人、通り魔に意味もなく刺された若い女
今日も理不尽な死は世界に溢れて、対岸の火事だと誰もが思っていた
怒りと恐れと好奇心と高揚感が入り混じりながら

新宿の大ガードの下、道路の上で浮浪者が冷たく転がっている横を
清潔な服を着た人々がまるで物を見るように通り過ぎて行った
金で女を買った男が腰を振りながら
唾を撒き散らして説教をする
親が泣いてるぞ親が泣いてるぞ親が泣いてるぞ親が泣いてるぞ

壊れて捨てられた傘、片方だけ落ちていた手袋
溢れかえったまま忘れ去られたゴミ箱、もう誰も住んでいない朽ち果てた家
かつてそれらは生きていて、かつてそれらには意味があった
意味があったはずだった

あの人が死んで
代わりに小高が死ねばよかったのに、とネットに書かれていた時
怒りよりも悲しみよりもその通りだと思った
なのに安穏と俺は今日も生き延びている
蜘蛛の糸にしがみつきながら
決して切れない事を祈りながら

頭を踏み潰された子猫がアスファルトにへばり付いていた
その上を何度も車が行き交う
何度も何度も何度も何度も
この世に理不尽以外の平等などあるのだろうか
頭の中で鳴り響く
おまえが死ねばよかったのに
おまえが死ねばよかったのに
おまえが死ねばよかったのに

夕方の馬鹿デカい公共団地を見るのが好きだ
窓に次々と灯っていく明かり
そこに匂うそれぞれの暮らしの気配
それは俺がどこかで失くしてしまった
懐かしい何かを彷彿とさせて
寂しいような切ないような
言いようの無い感覚が胸に空いた穴を吹き抜けていく

どこかの家からは夕食の匂いがして
楽しそうな笑い声が聞こえる
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