実は、あたしね、生きる資格なんてない。

 2018年5月16日に“さめざめ”が両A面シングル『ヴァージン/春宵』をリリースしました。今作は【新しい自分になる】という決意をもとに、ピアノと歌声のみでシンプルに仕上げられた2曲。そのため歌詞に織り込まれた想いが、いっそう強く、聴く者の魂をダイレクトに揺さぶります。今日のうたコラムでは、その新曲「春宵」をご紹介。春の夜、ひとりじっくりと聴き浸っていただきたい1曲です。

実は、あたしね、生きる資格なんてない
自分を許そうと思うたび、大切なひと、いなくなる

どうして、神様は平等じゃないんだって
もっとね、生きていてほしかった人たちばかり
攫ってゆくの
「春宵」/さめざめ


 みなさんも、自分に対して<生きる資格なんてない>と、感じたことはありませんか? それは簡単に「死にたい」とイコールになるものではないでしょう。また「そんなこと思っちゃダメ!」と他者に否定されるべきものでもないでしょう。きっと<あたし>は人よりも数倍<生きる>ということに慎重に向き合ってきたのです。だからこそ<生きる>ことへのハードル設定が高い。そして、うまく跳び越えられないたび<生きる資格なんてない>と自分を許せなくなるのだと思います。

 さらに「春宵」では誰かの【死】も大きなキーワードとなっております。自分はこんな低いハードルさえ上手に跳べない人間なのに、ちゃんと<生きる資格>を満たしていたはずの<大切なひと>やもっと<生きていてほしかった人たち>ばかりがこの世からいなくなってしまう。すると、やっと<自分を許そうと>思えそうだったのに、再び振り出しに戻って、ただ生かされている<あたし>の価値や資格について、考えざるを得なくなってしまうのではないでしょうか。

 続く歌詞には<どうして、神様はあたしを殺さないの?>という痛切なフレーズも綴られております。悲しい、苦しい、悔しい、空しい、どう生きたら正解なのか息の仕方がわからない。そんな誰にも言えない本音が込められているのが、この「春宵」という楽曲です。だけど重要なのは、自分の胸中に疼くだけのネガティブな感情そのものではございません。その気持ちを歌の冒頭から<実は、あたしね>…と打ち明けていること。そこに【新しい自分になる】という決意が表れているんです。

春のなか、あたしは一人きり
渋谷駅のホームから飛び降りようと決めました
それくらいの覚悟で 今まで生きてないと
「春宵」/さめざめ

春のなか、なぜだか一人きり
渋谷駅のホームから飛び降りようと決めました
それくらいの覚悟で あなたを愛してたと
「春宵」/さめざめ

 こちらが「春宵」のサビ。ここに吐き出されているフレーズが意味しているのは、決して身体的な“自殺”ではなく、精神的な“自殺”です。今まで<それくらいの覚悟で>生きてこなかった自分の心を断ち切るための想い。また、大切な人を亡くしたことで<それくらいの覚悟で あなたを愛してた>と痛感したからこその想い。つまり【死】をもって【生】を思い知ったがゆえの【新しい自分になる】決意が<渋谷駅のホームから飛び降りようと決めました>と歌うほどの強さで描かれているのでしょう。

明日もまたあたしは一人きり
あなたがいないこの世界で戦いながらも
ここにいた確かなその命と一緒に歩いてこうと
あたしはあなたなんだと

あたしが生まれたことを
心から幸福に思ってくれたあなたへ
あたしに血を分けてくれたあなたへ
きっと今でも見守ってくれているあなたへ
あなたほどになれる自信はないけど
あなたのようになりたいと思っている
きっとこれからも過ちを犯すし
人を傷つけていくだろうけど
ふらふらと凛と歩くあたしを見ていて ありがとう
「春宵」/さめざめ

 そして歌のラスト。【新しい自分になる】決意と共に、たどり着いたのは<あたしはあなたなんだ>という気持ちです。大切な人の分まで息をして、生きてゆく。この世界にもう<あなた>はいないけれど<ここにいた確かなその命>が教えてくれたことを胸に、生きてゆく。いないけど、いる、そんな<あなた>の存在をお守りに<あたし>は進んでゆくのだという意志が伝わってきますね。最後の最期<ふらふらと凛と歩くあたし>の姿は、まさに<あなた>が心の一部になった<あたし>を象徴しているかのようです。

 実は、あたしね、生きる資格なんてない。そう、恐る恐る口ずさまれた歌が<ありがとう>というひと言で結ばれるまでの、想い。是非、歌詞を噛みしめながら、生きるということを考えながら、聴いてみてください。

◆紹介曲「春宵
作詞:笛田サオリ
作曲:笛田サオリ