決めるのわたしだから、触るな、心に。

 2017年9月13日に“福山雅治”がニューシングル『聖域』をリリース!約二年ぶりとなるシングルのタイトル曲は、木曜ドラマ『黒革の手帖』主題歌として書き下ろされた楽曲です。ドラマは先日、最終回を迎え、併せてこの歌も歌詞アクセスが急上昇!放送直後にはリアルタイムランキングの首位を記録し、デイリーの4位にもランクインいたしました。今日のうたコラムでは、そんな新曲に注目です。

若さっていつまで売れるの?
綺麗っていくらで買ってくれるの?

だけどね あなたね 勘違いしないで
わたしを支配するのはわたしです
本当のわたしの価値には誰にも
値段はつけられない
「聖域」/福山雅治

 まず、ドラマで主演・武井咲が演じたヒロインは、銀座で一番“若い”ことが売りのクラブのママ。もともとは、父の死後に母が背負った借金を返済するため、銀行の派遣社員とホステスを兼業して生活をしておりました。しかし、そんな人生を覆すため、とある計画を実行し、知恵と<若さ>と<綺麗>を武器に、上へ上へ登りつめてゆくのです。歌詞に描かれているのは、まさに彼女の心情そのものと言えるでしょう。

お金のことは何ひとつ
考えなくていいように
死ぬほど欲しいの
それでお金から
いつか自由になれるのなら
「聖域」/福山雅治

 このフレーズもまた、ドラマ内でヒロインが口にしていたセリフとリンクします。そして、様々な“欲”でいっぱいの登場人物たちは、次々と彼女が<お金>を得るための餌食に…。尚、曲タイトルの「聖域」とは【神聖な域、犯してはならない域、手を触れてはならない域】などを表す言葉であり、さらに福山さんは【自分の中の守るべき場所、あるいは自らが望むあるべき姿への憧れ】という意味を込めたんだとか。つまりそこには、その人がもっとも大事にしているものがあるんですね。

 ただ、ヒロインの罠に墜ちていった人々にもそれぞれの【聖域】のようなものはあったはずです。お金を得て、裕福な暮らしをしたい、ちやほやされたい、楽して生きたい、世の中を掌の上で転がしたい、などなどの理想像…。しかし、彼らはこぞって彼女に人生を喰われてゆきました。彼女の【聖域】の力に負けたのです。その決定的な違いとは、何だったのでしょうか。それはおそらく、自分の【聖域】の意味を、価値を、どれだけ自覚しているかということです。

どれだけ生きられるか わからないけど
でも どう生きたいのかは わかるから
幸せ 不幸せ 豊かさ 貧しさ
決めるのわたしだから
触るな

だからね あなたに教えてあげるわ
何人たりとも冒せぬ「聖域」
愛とか 恋とか 攻めとか 受けとか
決めるのわたしだから
触るな
心に
「聖域」/福山雅治

 登場人物のほとんどは<お金>によって【聖域】が“手に入る”と思っていたのではないでしょうか。つまり<お金>は【聖域】を得るための目的だということ。一方、ヒロインの場合、心のなかにもう【聖域】は存在しております。たとえば<幸せ 不幸せ 豊かさ 貧しさ>についての価値、あるいは<愛とか 恋とか 攻めとか 受けとか>についての思考。しかし、その【聖域】はこれまでたびたび<お金>によって、土足で踏みにじられてきたのだと思います。

 だからこそ、彼女は<お金から いつか自由になれる>ことを望んでいるのです。彼女が<お金>を得るのは、自分の【聖域】が<お金>なんかを超えたところにあることを証明するため。そこには、大事なものを“守る強さ”があるのでしょう。そして、その意志はラストの<触るな 心に>という強烈なフレーズに貫かれております。では、みなさんにとっての【聖域】とはどんなものでしょうか。その【聖域】が、誰かに侵されないという自信と覚悟、ありますか…?