映画『恋妻家宮本』を観た帰り道、きっとこの歌を口ずさむハズ…。

 1月31日は<愛妻家の日>と呼ばれております。1月の1を“I”に見立て<I(あい)31(さい)>の語呂合わせから来ているそうな。この日は、妻への日頃の感謝を表す日、もっとも身近な人を改めて大切にする日、地球を思って夫婦でハグをする日…。しかし、男性はなかなか想いを言動で表すのが難しいという方が多いですよね。そんな方は“愛妻家”ではなく【恋妻家】と言えるのかもしれません。先日、まさにそのような男性が主人公の映画が公開されました。阿部寛×天海祐希の『恋妻家宮本』です。
 
 この映画はドラマ『家政婦のミタ』や『○○妻』、『女王の教室』などの脚本を手がけてきた“遊川和彦”さんの初監督作品。【恋妻家】とは、妻への思い(恋心)に改めて気がついた夫のことであり、言葉にすると新しいけれど、世界中の夫のなかに必ず眠っている気持ちを込めた造語です。ただし、欠点は“愛妻家”のようにうまく愛情表現ができないので、考えていることや“好き”が非常に伝わりにくいところ…。今作は、そんな欠点から生まれた愛おしい夫婦の物語が描かれております。
 
 大学生の頃、できちゃった婚で結ばれた“宮本夫妻”は、1人息子が結婚で巣立ったことにより、50歳にして初めて二人きりでの生活に突入しました。しかしある日、夫(阿部寛)は、妻(天海祐希)が隠し持っていた離婚届を見つけてしまうのです…。果たしてその離婚届の理由とは…?また、この映画には宮本夫妻のほかにも様々な夫婦、家族が登場し、いろんな生活の在り方が見えてきます。その人間関係の中で変化していく【恋妻家】宮本の姿に、宮本夫妻の関係に、注目してみてください。さて、そんな『恋妻家宮本』の劇中歌&主題歌となっているのは“吉田拓郎”の名曲「今日までそして明日から」なんです。

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力を借りて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
「今日までそして明日から」/吉田拓郎

 おそらく、映画『恋妻家宮本』を観終えた帰り道、あなたはこの歌を口ずさんでしまうことでしょう。それくらい「今日までそして明日から」は映画の中で大切な役割をしており、書き下ろし楽曲ではないにも関わらず、歌詞がまさに作品そのもののメッセージをすべて伝えているんです。時にはだれかの力を借りて、だれかにしがみついて、だれかをあざ笑って、だれかにおびやかされて、だれかにうらぎられて、だれかと手をとり合って、そうやって生きてきた映画の登場人物たち…。

わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました

そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
「今日までそして明日から」/吉田拓郎
 
 生きてきた、生きてみた、そして<明日からも こうして生きて行く>、そんなフレーズから、映画の終わりのあとも続いてゆくそれぞれの日常までも伝わってきます。それは当たり前のことなのに、とても尊く感じられるのです。いえ、ちゃんとその“当たりまえの愛おしさ”を気づかせてくれるのが『恋妻家宮本』と吉田拓郎の「今日までそして明日から」なのでしょう。また、余談ですが、現在放送中の火曜ドラマ『カルテット』第1話で、夫婦に関して次のようなセリフが登場しました。

夫婦って、別れられる家族、なんだと思います。
(ドラマ『カルテット』より引用)

 衝撃的なセリフですが、多分、そのとおりなのです。『恋妻家宮本』の登場人物をはじめ、夫婦はちょっとしたすれ違いや誤解で、すぐ“別れられる”もの…。家族でいることができるのは当たり前ではなく、様々な努力や意思や思いやりが必要なのだと痛感しますね。最近、もっとも大切な人にしっかり“想い”を伝えていないという方、是非、『恋妻家宮本』を観てみてください。できれば、その大切な人と一緒に。きっと帰り道、吉田拓郎の「今日までそして明日から」を一緒に口ずさんでいる二人がいると思います。