Q)デビュー40周年を迎え、「木綿のハンカチーフ」をはじめ、「赤いハイヒール」「しあわせ未満」「九月の雨」「ドール」など、太田裕美さんの初期の作品の多くを作曲された筒美京平さんの楽曲ばかりをカバーされた、アルバム「tutumikko」(筒美っこ)をリリースされました。この筒美京平さんのトリビュートカバーアルバムを作ろうと思ったきっかけは何だったのですか?
以前、松本隆さんが作詞家30周年の時に、ミニアルバムで「CANDY」っていう記念作、同じようにカバーアルバムを出したんですけど、筒美さんのはなかったので、今回、40周年の感謝の気持ちを込めて、筒美先生のトリビュートカバーアルバムって形になりました。

Q)今回、膨大な筒美京平さんの作品の中から、太田裕美さんに書かれた曲以外で選曲されていますが、1960年代のオックスガールフレンド」から、1970年代の平山三紀さん「真夏の出来事」、堺正章さん「さらば恋人」、天地真理さん「レイン・ステイション」、岡崎友紀さん「私は忘れない」、1980年代のCCBROMANTICが止まらない」、稲垣潤一さん「夏のクラクション」、1990年代のNOKKOさんの「人魚」、藤井フミヤさんの「タイムマシーン」、小沢健二さんの「強い気持ち・強い愛」まで、幅広い年代の曲が選ばれています。どういう風に選曲されたのですか?
とりあえず、私とスタッフ全員が、それぞれ、ひとり15〜20曲くらい、「これがいいんじゃないか?」っていう曲を集めてきて、みんなで、それを付き合わせて、あれがいいだの、これはいやだの言い合って決めました。最終的には、私が歌ってみたい曲と、アレンジャーの宮川弾さんが、絶対歌ってほしいと言っている曲に絞られて、「コレだったら面白いんじゃないの」って決まった10曲です。

Q)曲の年代は意識していなかったんですか?
意識してませんでした。たまたま、偶然そうなっただけですね。本当に、ものすごいバランスのチョイスになりましたね。

Q)選曲するにあたって、1回、歌ってみたりはしたのですか?
いえ、全然してないです…カラオケとかには全く行かないですし…。もちろん、おうちで、「この歌はどんな感じかな?」ってメロディをピアノで弾いてみたりとか、キーを合わせるために歌ってみたことはあっても、カラオケでこの歌たちを歌ったことは1回もなかったんです。

Q)じゃあ、レコーディングで初めて歌ったのですか?
はい。本当に、レコーディングの時に初めて歌ったので、歌うまでは、「ちゃんと歌えるのか?」とか思ってました。自分の中での「脳内レコーディング」みたいなイメージの中では、「まあ、大丈夫だろう…」っていうのがあって選曲したんですけど、でも、実際、レコーディングするまでは、ちょっと想像つかない感じでしたね。

Q)そもそも、太田裕美さんの声に合っている曲を選んだのかなと思っていました…
う〜ん…、もちろん「歌った時にどんなカンジになるんだろう?」っていうのは、選んでいる時に考えましたけど、今回の「ROMANTICが止まらない」のビートとか、「人魚」のテンポとかは、アレンジの宮川弾さんが考えて作ってきたので、選曲した時点では、「あのCCBの感じでは、私は絶対歌えないから!無理無理!」って言ってたんですけど、宮川さんが、「いや、絶対合うと思うし、違うアレンジでやるので、歌ってみてください!」って強く言うから、「じゃあ、しょうがない…、やってみようか…」みたいな感じだったんですけど(笑)。

Q)たしかに、「ROMANTICが止まらない」は4ビートになっていますし、「人魚」はアップテンポの曲になっていてビックリしました…。でも、太田裕美さんの声に合ったアレンジで、「この曲って、こういうメロディの曲だったんだ…」という風に、あらためて、メロディの良さが伝わってきましたが、原曲のイメージのままだと想像つかない感じですね…
うん…そうですね…、歌ってみるまでわかんなかったカンジです。

Q)あらためて、筒美京平さんのメロディと、大田裕美さんの声との相性の良さを感じましたが、レコーディングで歌ってみて、大変だった曲はありますか?
今回、半分は男性の曲じゃないですか。男性の曲って音域が広いんですよね。私も、女では結構広い方なんですけど、それでも、私の音域を上から下までいっぱいいっぱい使って歌う曲が多かったので、1回歌うとヘトヘトみたいな感じでした(笑)。そういう大変さはあったけど、「このメロディはどうしても歌いにくい…」という曲は、なかったですね。

Q)じゃあ、歌入れも順調に?
歌入れそのものは、メインの歌に関しては、わりと早かったですね。歌っている最中は、やっぱり、自分の中の歌手のDNAとして、筒美先生のメロディが入ってるから、なんか、ふつふつとわき出てくる感じで、自然な感じで歌えましたね。でも、コーラスがすごく多かったんで、それは、すごい大変でした。アレンジャーの宮川さんが書いてくるコーラスのフレーズが、普通の人とはちょっと違っていて、歌ったことのないハモとかが多かったので、そのへんで時間がかかったし、そういう意味では大変でした。

 


Q)多くの場合、私たちリスナーにとっては、ヒット曲の場合、アレンジも含めての印象が強いので、基本的には、原曲のアレンジのイメージが変わることを嫌います。でも、たとえば、「ROMANTICが止まらない」や「人魚」のように、アレンジをここまで大胆に変えても、それでもいいと思えるということは、それだけ、メロディがしっかりしていること、そして、太田裕美さんの声に合ったアレンジになっているということを感じます…
そうですね、メロディの強さもあるし、あと、やっぱり、宮川弾さんが、筒美先生をリスペクトするその気持でアレンジしてくれているということがあるからじゃないですかね。だから、「もとのアレンジをこわそう」とかじゃなくて、「さらに、プラス大田裕美にした時の、新しい音の世界を作りだそう」っていう愛情がアレンジに出ているからだと思います。それらが、全部ミックスされて、すごく良い形で、筒美先生の曲の魅力が広がったんじゃないかな〜って思いますね。

Q)アレンジの正解はひとつとは限らないんですね…。それにしても、宮川弾さんてスゴイ方ですね…
そうなんです。以前に、2度ほど、お仕事をしたことがあって、1回目は、宮川さんのソロアルバムに呼んでいただいて、2回目は、私の久しぶりのオリジナルアルバムに詞曲を書いてもらっているんです。そのあと、6年くらいあいていたんですけど、2回お仕事をした時の音楽的な印象と、それから、最近、宮川さんの2枚目のアルバムを聴いてみて、「今回のアルバムのイメージに合うんじゃないかな…」って思ったので、宮川さんにお願いしました。

Q)大正解ですね。とくに、ストリングスが凝っていて、印象的に聴こえてきます…
そうですね〜、凝ってますよね〜。そういう新しい感覚で、弦のアレンジが上手だっていうのも、私の中にあったので…。筒美先生も、弦の動きとか好きじゃないですか。それに、彼は生楽器も弾くし、打ち込みもできるんで、今回のアルバムを考えていた時に、いろんな意味で、うまくやってけるんじゃないかな〜って感じでお願いしたんですけど、予想以上に頑張ってくれたので、本当に良かったと思いますね。

Q)アレンジのイメージは、まったくおまかせだったのですか?
選曲して、「じゃあ、どういう風にしましょうか?」ってところでは話をしましたよ。「この曲はこんな感じで…」とか出し合って。こっちは言うだけなんで…(笑)。それらを宮川さんが頭の中で、まとめていって音にしてくださったんです。

Q)レコーディングの前に、一度、ラフアレンジというか、デモみたいな音を聴かれたのですか?
うん、最初にね。でも、ラフって言っても、かなり形の見えるものを作ってきてくれたんで、「ああ、そうそう、こんな感じ!」って、レコーディングの前に、もうだいたいイメージをつかめる感じでしたね。「ここのリズムが…」とか「テンポが…」とか、細かいところは、その段階で打ち合わせして詰めていきました。だから、デモだけでも1ヵ月くらいかかりました。

Q)最初に聴いた時、ビックリしたアレンジもあったと思いますが…
デモテープとして一番最初に出てきたのが、CCBの「ROMANTICが止まらない」だったんですよ〜。これは、最初、私が「歌うのやだ!」って言ってた曲だし、それに、まわりのスタッフも「え〜っ、CCBの曲〜? 大丈夫かな〜」みたいな感じになっていた中、宮川さんが一人で「これは絶対に歌ってほしいんです!」って頑張った感じだったんです。それで、宮川さんが、「これを皆さんが一番心配しているようなので、こんな感じで…」って最初に作ってきてくれたんです。聴いたら、ジャズっぽいフォービートが出てきて、みんな「すご〜い!かっこいい!」ってなって、全然、原曲とイメージが違うアレンジなのに、ちゃんと、詞のイメージも、曲の良さも出てるアレンジだったので、しかも、「こういう感じで歌ったら大田裕美の良さが出るんじゃないかな」っていう仮歌が入っていたので、みんなホッとひと安心って感じになりました。


Q)「ROMANTICが止まらない」って、CCBさんのオリジナルでは、サウンドが優先している感じですけど、今回、太田裕美さんのバージョンを聴いた時、「ああ〜実はこんなメロディの曲だったんだ〜」っていう風に、全く違う曲に聴こえました…
いや! でもね〜、そうは言っても、筒美先生は、そもそもCCBさんのために作った曲なので、だから、作った時は、やっぱりあのイメージだったんだと思うんですよ。

Q)なるほど…、それはそうですね…。でも、あらためて、メロディの良さに気付かされたことは確かです…
まあ、それは…、たとえば、藤井フミヤさんの「タイムマシーン」なんかにしても、もちろん知ってはいましたけど、あんまりよくは知らなかったんです。でも、実際に歌ってみると、マネージャーの佐藤さんなんかも、「メロディの良さが初めてよくわかった…」って言ってましたね。

Q)川弾さんのアレンジと、太田裕美さんの歌で、全く新しい歌に生まれ変わった感じがします…
そういう意味では、私自身も、新しい発見があったりしましたね。カバーなんですけど、私にとっては「初めて歌う」という意味では、書き下ろしの新曲と同じような感覚だったので、「新しい曲に挑戦する」っていう気持で歌ったので、すごい楽しかったんですよね。

Q)なるほど、書き下ろしの新曲を歌うのと同じ状態だったのですね…
やっぱり、前に筒美先生とアルバム作りをしていた時の、「今回は、どんな曲が出来上がってくるんだろう…?」って毎回楽しみにしていた感じですかね。フォーク調のものからジャズっぽいのまであったし、ロックっぽいのもあったりと、私の作品では、バラエティにとんだ作品を書いていただいていましたしね。そういう意味では、今回も、バラエティにとんだ選曲なんですけど、オリジナルアルバムを作っていた時と同じように、「今度はどんな感じのメロディが来たのかな〜?」って思いながら歌っていたので、ホントに新鮮で楽しかったですね。



Q)お聞きしない方がいいのかもしれませんが…、今回、入れたかったけど入らなかった曲も、きっとありますよね…
はい、あります。

Q)お聞きしても…?
う〜ん…、そうですね…、それは言わない方がいいですね。

Q)そうですよね…。候補曲の中に、たとえば、「ブルー・ライト・ヨコハマ」とか「わたしの彼は左きき」とか「ロマンス」とか「また逢う日まで」とか、そういう曲は入っていなかのですか?
そのへんは…、最初から出てないですね…誰も出してこなかった。

Q)まあ、太田裕美さんが「また逢う日まで」を歌うイメージは想像つかないですからね…
ですよね〜。でもね、もしかしたら、CCBさんの「ROMANTICが止まらない」みたいに、全然違アレンジになった可能性もあるので、なきにしもあらずとは思いますけど…。

Q)このトリビュートカバーアルバムの企画を、事前に、筒美京平さんにもお話されたかと思いますが…
去年の秋にお会いして、「トリビュートアルバムを作りたいんです」って言ったら、「光栄です」って言ってくださったんです。その後、候補曲の段階でも、途中経過をお話させていただいた時に、「80年代とか90年代の曲をもうちょっと入れた方がいいんじゃないの?」ってお話がありました。その後、最終的に、報告と言う感じで「この10曲決まりました」ってお伝えしたら、「ふ〜ん、あ〜そうなの〜」って感じでしたね…(笑)。

Q)筒美京平さんは、お聴きになって、なんと言われたのでしょう…?
え〜っと、途中途中も聴いてもらったんですけど…、レコーディングが始まって、歌入れがほぼ終わるという段階で、仮ミックスを聴いていただいたんです。その時は、「今風な感じの音になってるのね〜」みたいなことを言ってらして、最終的に、アルバムが出来上がったものをお送りして、「どうでしたか?」って聞いた時には、「まあ、いいんじゃないの〜」みたいな…(笑)、そんな感じでした。

Q)3月に、大和田さくらホールでの40周年記念コンサートには、筒美京平さんもいらっしゃったそうですが、その時には何か感想を言われたのですか…
はい、松本隆さんと一緒に来てくださって、筒美先生からは、終わった後に、「キー下がってないの?」って聞かれただけでした。松本さんは、「煉瓦荘」で泣いたよ〜って言ってくれました。それで、後日、筒美先生のご自宅にお礼の電話をした時に、奥様しかいらっしゃらなかったんですけど、「すごく楽しかった」って言ってらしたようなので、まあ、喜んで下さったのかなと…。でも、アルバムの1曲1曲の細かい感想も、また今度お会いした時に聞いてみたいなって思っています。

Q)そうですね、アルバムの細かい感想も気になりますよね…
あっ、そうだ! 思い出した! 筒美先生に、レコーディング途中の段階で聴いていただいた時に、「もっとエグくてもいいんじゃない?」っておっしゃってましたね。

Q)それって、どういう意味なんですかね?
なんかね…、たとえば、「また逢う日まで」も「ブルー・ライト・ヨコハマ」も、ゴリゴリの個性的な曲じゃないですか。その歌っている方が全面に出るみたいな…。それで、「やっぱりヒットを狙って書いている曲だから、何かエグさというか、ドロ臭さっていうものを、僕は入れて書いているんだけど、それがちょっと薄められている感じ…」っていう言い方はされていました。



Q)歌ネットの歌詞検索で、筒美京平さんの作曲された曲は、930曲以上あります。その中でも、「木綿のハンカチーフ」は、ずっと1位です。椎名林檎さんや、いきものがかりさんがカバーしている「木綿のハンカチーフ」も上位に入っていますし、今回のカバーアルバムで歌われた曲も、全曲が上位で見られています…
ふ〜ん、入ってるんだ〜。へえ〜なるほどね〜。

Q)ちなみに、松本隆さん作詞で検索しても、見られている順番に並べると、「木綿のハンカチーフ」か、松田聖子さんの「赤いスイートピー」が1位ですし、もちろん「歌手名=太田裕美」で検索しても1位です…
へえ〜すごいですね。やっぱり、「木綿のハンカチーフ」のことはずっと言われますけど、やっぱりこうやってもう何十年もたって、しかも、いろんな若い方もカバーしていただていたり、こうやって詞を検索して見て下さったりとか、すごい幸せなことだな〜って思いますね。

Q)「木綿のハンカチーフ」は、太田裕美さんの代名詞にもなっていますが、しばらく歌いたくなかった時期があったそうですね…
まあ…、歌いたくなくっても歌わなきゃいけなかった時期もありますからね…。「木綿のハンカチーフ」が1975年に出て、ニューヨークに行く前の1982年くらいまでですかね。「木綿のハンカチーフ」が出て、次のシングル「赤いハイヒール」を作った時点から始まってるんですね。「赤いハイヒール」は、松本隆さんも筒美京平先生も、「もう、これ以上いい曲は書けない」っていうくらい力を入れて書いてくださったんですよ。

Q)そうですよね…。大ヒット曲がでると、その次の曲は、それ以上のものを求められてしまいますからね…。でも、「赤いハイヒール」も大ヒットしましたし、その後も、「しあわせ未満」「九月の雨」「失恋魔術師」「ドール」「さらばシベリア鉄道」「君と歩いた青春」などもヒットしています…
もちろん、スタッフも全員、「木綿よりいい曲を…」「木綿を越えた曲を…」って思いで作っているじゃないですか。「赤いハイヒール」もかなり売れたんですけど、でも、「木綿のハンカチーフ」があまりにも大ヒットしたために、次から次と、いい曲を出していっても、その影に隠れちゃう存在じゃないですけど、どうしても2番手に思われちゃうところがあったんですね。自分の中でも、「早く木綿を越えて、私の新しい歌の世界を聴いてくださ〜い!」みたいな思いは、「赤いハイヒール」以降、ずっと思っていましたね。

Q)新しい曲を出しているのに、前の曲のことばかり言われてしまう…?
はい、そうですね。新しい曲を歌っても、やっぱり「木綿のハンカチーフ」が一番で、「あの曲は良かったですね〜」みたいなことを言われちゃう葛藤というか、ジレンマというか、そういうのがずっと続いていて…、「こっちは、次から次へと、いい作品を一生懸命作っているのに…」っていう思いですね。だから、「歌いたくなかった」っていうより、早くそれを越えた世界を見つけたかったっていうのがホントのところですね。

Q)また、歌えるようになったというか、その気持がかわったのはいつ頃ですか?
純粋な気持ちで、「木綿のハンカチーフ」の良さというのが本当にわかったのは、1982年に、休業してニューヨークに行って、それから帰ってきて活動を再開して…、結婚して、またお休みして…、その後、またライブを始めた時だから、1994年ころですかね。その頃、この「木綿のハンカチーフ」が愛された理由とか、「木綿のハンカチーフ」が持っている力とかが、やっとわかってきて、素直に「ああ、これだけ力のある歌だから、みんながすごく愛してくれたんだ…」って思いました。

Q)離れてみて、時間がたって、客観的に見る事ができるようになったのですね…
やっぱり、自分が結婚して子供を持って母親になって、自分以外の人の気持ちを考えられるようになって、性格が大人になったことが大きいと思うんですね。自分自身が、ひとつのところだけを見るんじゃなくて、広く見ていろんなことを考えられるようになったってことですね。

Q)何か具体的なきっかけもあったのですか?
その、またライブを始めた頃なんですけど、1994年ころは、表立った活動もしてなかったし、ソロのライブっていうのは久しぶりだったんで、もう最初は、お客さんが来てくれるのかどうかも心配だったし、「小さい所で、自分が今歌いたい歌を歌えればいいなあ〜」くらいの思いで、渋谷のちっちゃいライブハウスで始めたんですけど、その時に、本当にたくさんの人が来てくださって、しかも、「こんなに待ってました〜!」みたいな、すごい熱烈な気持ちをぶつけてきてくださるんですよ(笑)。

Q)それは、ファンは待っていたと思います…
それに加えて、インターネットの時代が始まって、太田裕美のホームページを個人的に作って応援してくださっている方がいらっしゃたりとか、そういうのが伝わってきて、「自分の知らない所で、こんなにも私の歌を愛してくれている人がいるんだ…」っていうことを、あらためて感じたんです。それって、「なんて歌手として幸せなことなんだろう…」って思ったのと同時に、そんな愛された曲の中に「木綿のハンカチーフ」って曲があって、その存在の大きさをあらためて知ったんです。

Q)なるほど…それで変わったのですね…
そういう、いろんなことが一気に重なって変わりましたね。今ではもう、こだわることなく、たとえば、テレビで「『木綿のハンカチーフ』1曲だけを歌って頂きたいのですが…」って言われても歌います。歌手にとって楽曲は子供のようなものなので、どの子が可愛いってのもないんだけど、でも、自分が生み出した楽曲は、自分が歌手である限りはね、歌手をやめる時までは、大事に責任を持って歌い続けなくちゃいけないな〜って、すごい思ったんですよ。


  【DVD】

ライブ DVD が発売!
「 太田裕美 雨女の恩返し Tutumikko 2014 Live 」
2014/07/30 発売 DQB-61 ¥5.400-
Voice & Rythem

  【コンサート・イベント】

☆2014年6月15日(日) 『富澤一誠プロデュース フォーエバーヤング2014 』 
  長野県・須坂市文化会館
  出演:太田裕美・紙ふうせん・マイク眞木、富澤一誠

☆2014年7月3日(木) 『アコースティックナイト in 山口』  山口市民会館
  出演:なごみーず(伊勢正三・太田裕美・大野真澄)コンサート

☆2014年7月13日(日) 『アサヒ緑健 PRESENTS プレミアムコンサート2014
              〜ささやかなこの人生〜』 
  福岡サンパレス
  出演:伊勢正三、太田裕美、大野真澄、松山千春、夏川りみ 

☆2014年7月15日(火) 『太田裕美サマーディナーショー2014』
  大阪・伊丹シティホテル
  出演:太田裕美 w/岩井眞一、西海孝、大古富士子

☆2014年7月19日(土) 『わ"で奏でる東日本応援コンサート 2014 in 名取』
  宮城県・名取市文化会館
  出演:前田憲男、山口マリー、くるみee / ゲスト:太田裕美 他

☆2014年7月20日(日) 『わ"で奏でる東日本応援コンサート 2014 in 二本松』
  福島県・二本松市安達文化ホール
  出演:前田憲男、山口マリー、くるみee / ゲスト:太田裕美 他

☆2014年7月26日(土) 『豊島区がん対策推進・特別公演
             太田裕美ヒットソングとオーケストラで聴く映画音楽』
  東京・豊島公会堂(みらい座いけぶくろ) 第2部(太田裕美&東京室内管弦楽団」
 
☆2014年9月12日(金) 『タイトル未定』
  東京・マウントレーニアホール・渋谷プレジャープレジャー
  出演:太田裕美 w/岩井眞一、西海孝

☆2014年11月03日(月・祝) 『太田裕美コンサート 2014−雨女の恩返し・tutumikko』
  名古屋・中電ホール
  出演:太田裕美 w/岩井眞一、西海孝、大古富士子

  最新スケジュールはコチラ!

筒美京平 トリビュート カバー アルバム!
アルバムCD 「 tutumikko 」
 

2014年 4月 2日発売
SPACESHOWER MUSIC
DDCZ-1938
¥2.800(税込)

<CD収録曲>

01 タイムマシーン (1995.4.21発売:藤井フミヤ)
02 真夏の出来事 (1971.5.25発売:平山三紀) 
03 ROMANTICが止まらない (1985.1.25発売:C-C-B)
04 ガールフレンド (1968.5.5発売:オックス) 
05 夏のクラクション (1983.7.21発売:稲垣潤一) 
06 人魚 (1994.3.9発売:NOKKO)
07 さらば恋人 (1971.5.1発売:堺正章) 
08 レイン・ステイション  (1975.12.21発売:天地真理) 
09 私は忘れない  (1972.10.5発売:岡崎友紀)
10 強い気持ち・強い愛 (1995.2.28発売:小沢健二)

*括弧内はオリジナル歌手と発売日


最新ベストアルバム!
アルバムCD 「 GOLDEN☆BEST 太田裕美 」
 

2011年 6月 29日発売
Sony Music Direct
MHCL-1917
¥1,905-(税別)

<CD収録曲>

01 雨だれ
02 たんぽぽ
03 夕焼け
04 木綿のハンカチーフ
05 赤いハイヒール
06 最後の一葉
07 しあわせ未満
08 恋愛遊戯
09 九月の雨
10 失恋魔術師


11 ドール
12 振り向けばイエスタディ
13 青空の翳り
14 南風
15 さらばシベリア鉄道
16 君と歩いた青春
17 満月の夜 君んちへ行ったよ
18 雨の音が聞こえる
19 僕は君の涙
20 パパとあなたの影ぼうし



1955年、東京都生まれ、埼玉県で育つ。上野学園音楽学校声楽科声楽コース在学中に、スクールメイツのオーディションに合格。NHK『ステージ101』のレギュラーメンバーとなる。1974年「雨だれ」でデビュー。1975年12月に発売された3枚目のアルバム「心が風邪をひいた日」から「木綿のハンカチーフ」がシングル化され大ヒット。以後、「赤いハイヒール」「しあわせ未満」「九月の雨」「失恋魔術師」「ドール」「さらばシベリア鉄道」「君と歩いた青春」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には、初登場の1976年から1980年まで5年連続出場。1982年、充電のため歌手活動を一時休業し、アメリカ合衆国・ニューヨークに滞在。帰国後、幅広い音楽活動を経て1985年に結婚、二人の男の子の母となる。1992年から本格的にライブ音楽活動を再開。1998年には「僕は君の涙」(作詞、作曲:太田裕美)、2001年には「パパとあなたの影ぼうし」が、2011年には「金平糖」が、それぞれ「NHKみんなのうた」で放送される。1999年には、松本隆作詞家活動30年記念作としてカバーミニアルバム「CANDY」を発売。2006年、オリジナル・フルアルバム「始まりは"まごころ"だった。」発売。2009年には、シングル「初恋」(作詞:太田裕美、作曲:伊勢正三)が、NHK「ラジオ深夜便のうた」として、2011年12月には、シングル「金平糖」が、NHK「みんなのうた」(2011年12月〜2012年1月)として、それぞれ放送される。2014年4月2日、敬愛する作曲家、筒美京平のトリビュートカバーフルアルバム「tutumikko」を発売。2004年秋からスタートした、伊勢正三、大野真澄との3人組ユニット「なごみーず」の活動が好評で、2010年5月には150回記念コンサートを行い、2014年11月には、200回記念コンサートを予定。現在、デビュー40周年となる。

太田裕美 オフィシャルサイト (Sony Music)
太田裕美 所属事務所 「ボイスアンドリズム」公式スケジュールブログ

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