新曲2作はテイストの異なる“一途な男性目線”のラブソング!

 4人組バンド“赤い公園”が2017年2月15日にデビュー5周年を迎えます!そんな記念日に、スペシャルイヤー第1弾シングル『闇夜に提灯』をリリース。表題曲はドラマ『レンタルの恋』の主題歌です。サビの<提灯 マイ・レディー>という殺傷力バツグンなキラーフレーズが生まれたきっかけとは…?また、カップリングの「放蕩」(読み:ほうとう)は、“放蕩女”=“自分の思うままに生きる移り気な彼女”に恋をした男性の想いを描いております。まったくテイストの異なる2曲のラブソングをお楽しみください!

 赤い公園のメンバーは、高校の軽音楽部の先輩後輩として出会ったそうな。今回のインタビューには、佐藤千明(Vo.)と、作詞作曲を手がける津野米咲(Gt.)に登場していただきました。お二人にお会いするまでは勝手に“ロックでイカツイ”イメージを抱いておりしたが、実際はとても明るく親しみやすく面白い…!(170cm以上ある千明さんのスタイルの良さにも驚きました…) 新曲のお話はもちろん。先輩・米咲と後輩・千明が初めて逢ったときの互いの印象や活動休止中のお話、そして恋バナまでたっぷりお伺いいたしました!

(取材・文 / 井出美緒)
闇夜に提灯 作詞・作曲:津野米咲
明けない果てないようなミッドナイト 助け舟も見えない大暗中
want you ただ信じて待ってた この闇夜にあらわる
提灯 マイ・レディー
ひとりきりじゃ 味気ないから誰か ねえ 誰か
そばにいても なんか違う もっと寂しい 気が気じゃないんだ

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INTERVIEW
あの活動休止期間は、私たちにとってすごく大切でした

まず“赤い公園”というバンド名ですが、最初の候補は“怪獣公園”だったそうですね。

米咲:そうなんですよ。でも同じ名前のアーティストがすでにいたので使えなくて。まぁ最初のイメージは“公園”だけで、なんか字面も四角くてカッコイイし、音楽で遊んで帰ってもらえるような存在になれたらいいなって気持ちがあったんです。だから“公園”の前につくワードは何でも良かったというか、前のバンド名が死ぬほどダサかったのでとにかくすぐに変えたかった(笑)。

千明:“ちょこ坊”ねぇ。高校に向かう通学路にちょこ坊という名前の居酒屋さんがあって、その字体が可愛いからって、うちのドラムの歌川が決めたらしいです(笑)。で、“怪獣公園”がダメでもう何でも良いから変えよう!というところに“赤い”って言葉が浮かんできたんですよね。

photo_01です。

メンバーのみなさんは高校の軽音楽部の先輩後輩として出逢ったそうですが(津野米咲が1つ上)、お互いの最初の印象って覚えていますか?

千明:最初、米咲先輩は3年生の同級生の方々とバンドを組んでいて、そこで作った曲が文化祭のテーマソングで使われたんですよ。その曲が校内で流れているとき、友達から「これってもともとある曲じゃなくて、軽音部のバンドの人が作ったらしいよ」って聞いて、へぇすごいねぇ…!って、まずライブを観に行ったんです。

米咲:そう、ライブやったんだよね。文化祭の開会式で全校生徒の前でやった。

千明:そのとき、同じバンドメンバーの方々はわりと元気な感じだったんですけど、米咲先輩はただ佇んでいるというか、一番落ち着いていて。だから友達に「あの人が曲を書いてるんだよ」って言われてちょっとビックリしました。しかもかなり華奢(きゃしゃ)で、大人しくて、なんていうんだろ…お姉さんみたいな印象でしたね。でも怖さとかは感じてなかったかな、バンド組むまでは(笑)。

米咲:組むまでは(笑)。でも本当に当時シャイで、下を向いて弾いてる系でしたね。下どころか後ろ向いて弾いてるときあったもん。私からのちーちゃんの第一印象はねぇ…実は軽音楽部で出逢う前からずっと気になっていたんですよ。彼女の歌声とかは聴いたことなかったんですけど、あの…いっつも髪の毛をガッと全部あげて、つむじのところでお団子にしていて、私はその髪型を“ファイナルフォーム”と呼んでいました(笑)。あと、今よりもうちょっと恰幅(かっぷく)が良い感じだったんだよね、はち切れんばかりの…。

千明:え、そんなに(笑)!? うん、でもたしかにパンッパンだったね。

米咲:で、背も大きいし、ちーちゃんが階段から降りてくる音が他の人と明らかに違うんですよ。すっごい音を鳴らして降りてくるんです。だから私はずっと誰だかわからないのに、2年生のあの“ファイナルフォーム”の子が歩いてくるたび、頭の中でゴジラの音楽が流れていました(笑)。それから、そんな印象の子が軽音楽部に入ってくるわけですけど、もう、あのゴジラからは想像もつかないような歌声で、めちゃくちゃ綺麗で、感動した…、という出逢いでした。

それは強烈な出逢いですね(笑)。赤い公園を組んでからは、すぐに米咲さんがオリジナル曲を作り始めたんですか?

米咲:そうですね。まず赤い公園の結成日としているのが、初めてこの4人でライブをした2010年1月4日なんですけど、そのとき私は高校3年生の1月なので、もうすぐ卒業だったんですよ。しかも卒業後は親戚がいる大阪に引っ越す予定で。だから最後に記念として、オリジナル曲を2作くらい残そうって作ってみたら、それがあまりに楽しくて!最初の曲作りがきっかけでなんとか私は東京に残ったんです。

千明:その2曲は今でもすっごく覚えていますねぇ。あとから私が歌詞をつけたので、最初はメロディーにラララが乗っただけの曲だったんです。でも、ラララだけでこんなに気持ちが込められるんだ!って感覚を初めて知りました。音の厚みとか、音のメロディーラインの持って行き方で、こんなにドラマって生まれるんだ!って。

もしもその2曲がなかったら、今の赤い公園はなかったかもしれないんですねぇ。

米咲:本当にそうなんですよ。とりあえず大阪でバイトしようと思ってましたもん。不思議な話ですよね。でも卒業してガッツリ4人でプロとして音楽をやっていこう!というよりは、ヌルッとした感じだったのかな。途切れなくライブをやって、曲を作って、それを繰り返しているうちに、たまたま状況が運よくチャンスを連れてきてくれたような気がします。逆に、ちゃんと話し合ったりしていたら、そのとき誰かがサジを投げていたかもしれない(笑)。だからなんか怖くて話し合わずに、ここまで来ましたね。

結成から約2年後の2012年にはメジャーデビューが決まって、まさにトントン拍子というように思えますが、当時の心境はいかがでしたか?

千明:うーん、不安しかなかったなぁ。

米咲:私は…ここからだ!って思っていました。赤い公園は、一般的に“下積み”と呼ばれる時間が極端に短い。でもデビューしたら、もう年齢も経歴も関係ないものとしてやっていかないと、って思っていたから、これからが大変だろうなぁって。ものすごく歴史を経たバンドの方とライブをすることになっても「赤い公園、良かった」って思ってもらえるように、表で活動をしながら同時に“下積み”を積んでいかないと、とか当時は冷静に考えていましたね。

そんななか、米咲さんはデビュー後すぐに体調を崩されてしまって、半年間の活動休止となりましたが、そのときはもう急ブレーキをかけたような状態だったのでしょうか。

米咲:急ブレーキをかけたというより、かかっちゃった、という感じでしたね。正直、当時は結構メンバーの3人が頼りなくて…。誤字脱字もすごいし(笑)。でも「誰かがやってくれるだろう」って思わせるような状況を、結局は私が作っていたんだろうなとも思います。自分ひとりで全部やっちゃうから。そんなのバンドじゃないのに。それで勝手にどんどんどんどん荷が重くなっていって、結果的にどうにもならなくなっちゃったんですよね。ただ、曲ができないというストレスではなかったので、活動休止中もずっと曲は作り続けていました。そのときの大量な曲たちに今、助けられています(笑)。

その活動休止があったからこそ気づけたことや変わったこともたくさんありそうですね。

米咲:いざ自分に急ブレーキがかかってしまった半年間、ちーちゃんは弾き語りでライブをやったり、ドラムはピアノを弾いてみたりしていたんですよ。なんかそれまで、もしも私が3人をバンドに誘ったりしなければ、音楽なんてやらずにみんなにはもっと安定した未来があったんじゃないかって勝手に思っていたんです。だからメンバーの親に会うたびに、申し訳ない気持ちになったりしていて。でも、私がストップしてしまっても、メンバーが音楽のところにい続けてくれたことはすごく大きかったですね。きっとみんなにとっても大きかっただろうなって思います。

千明:そうですね。一人で鍵盤を弾いて歌えるということも少しの自信になりましたし、あの時期はそれまでにないくらいバンドのことをずっと考えていました。デビューから活動休止まで、当たり前のように物事が動いて、私はただ目の前にあることをやっていくという状態だったので、自ら考えて提示して動くということをしてこなかったんです。音楽に対する気持ちはあったけど、いろんな面で米咲先輩に頼り切っていたんだなぁって、みんな感じたし、気づけたんだと思います。それからは、全員が悩みながらもちゃんと頭をつかうようになりました。そのなかで、やっぱり自分は頭の回転が良い方じゃないなぁって思うことも多いんですけど、それが悔しいから、とにかく考えますね。米咲先輩も良い意味で肩の力を抜くというか「どうにでもなれ!」という感じになった気がするので、あの活動休止期間は、私たちにとってすごく大切でした。


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