第62回 WANIMA「ともに」
photo_01です。 2016年8月3日発売
 いま、ライヴがもっとも盛り上がるバンドであるWANIMA。もちろん、ノリやすい明快な演奏力が武器であり、彼らのことを知らなくても、初回から大いに盛り上がれる人懐っこい音楽性である。歌詞を知らなくても、まわりの人の真似をして、サビを一緒に絶唱することも出来そう。こういうタイプは野外フェスのような場所で、どんどんファンを増やしていけるのである。

でも、その人気をささえる重要な要素として、忘れてならないのが歌詞なのだ。彼らの場合、コトバの響きのカッコよさを追求したものじゃなく、ハッキリ意味を伴って、コトバが耳に届いてくる。音符の数を無視し、言いたいことを詰め込みすぎるとこうはならないのだけど、そのあたりは日本のビート・パンクの良き伝統を踏襲している(一部、効果を狙ってそういうパートも設けているけど、あくまでコトバが伝わることを前提としていることには変わらない)。

やってるほうは、逃げも隠れも出来ないだろう。何を歌うのか? 中身こそが勝負だからだ。とはいえ、彼らの場合、エラそうなメッセージ・ソングでもない。誰にも思い当たる感情にこそ、スポットをあてる。
亡きおじいちゃんに捧げた『1106』しかりである。泣かせる歌だ。こういうタイプの作品は、ロック・バンドというより、地道に歌ってきたソロのシンガー・ソング・ライターが得意としそうだ。おそらく彼らは、世の中を斜にみたりせず、純粋に自分が思ったことを作品にしてきたからこそ、こうしたテーマにも自然に行き着いたのだろう。

自らの世代(現在彼らは20代後半)を特権的に振り回しているわけじゃないのがイイ。同じ九州の先輩である財津和夫の「切手のないおくりもの」をカバーしているのだけど、こういう姿勢もすこぶる良いと思う。先輩達を敬い、それまでの系譜を受け継いでこそ、未来へのベルを鳴らすことも出来るのだから……、と、なにやら非常に褒めてしまったが、なんかそうしたくなる、憎めないヤツラなのである(まだインタビューとかしたことないけど…)。

踊るのも大事だけど、“心躍る”のはもっと大事

 さてここからは、具体的に彼らの歌詞について書く。一緒に大声で歌いたくなるのを堪えつつ、まずは人気曲「ともに」を例に、見ていくことにしよう。ところで皆さん、歌詞を重視した音楽というと、パッと何を思い浮かべるだろう。おそらくラップ、だろう。でもWANIMAの場合、歌詞を重要視しつつも、いわゆるヒップホップ・マナーといわれるものとは、距離があるのだ。韻を踏んだりはしない。

もちろん「ともに」のなかの[生きて耐えて]ってフレーズを、脚韻と受け取れなくはないけど、韻を目的化してるわけじゃなく、偶然コトバが揃った程度のことなのだ。なので聴き心地としては、コトバが記号として無為に流れることなく、ひとつひとつ、噛みしめるように届くのである。

さらに「ともに」で気づくのは、生きていくうえで遭遇するネガなことに目を背けず、とことん付き合いつつ、でもその先の希望を探していく論法であるところだろう。[崩れそう][びびってる][疲れ果て][辛くて暗くて][昨日よりも不安]…。こうしたコトバが、これでもかと次々に出てくる。でも、あたかもそれが、バネを畳んでエネルギーを蓄えるかのように機能し、ある表現へと行き着くのだ。それはこのフレーズだ。

[進め君らしく 心躍る方]

実はこの“心躍る”というのは、楽しく生きていくうえでの心のサプリメント部門第1位に輝く事柄なのだ。人間は、その瞬間、その瞬間の連続を生きている。彼らはよく“ワンチャン(ス)”というコトバを使うようだけど、まさに“心躍る”とも共通する感覚だと思う。もしこの歌詞が[進め君らしく]→[誰の目も気にせず]だったら27点くらいだった。“気にせず”は気にしてることの裏返しだからだ。[心躍る方]であるなら、ある意味、無我の境地にも近い。このコトバが次に来ているからこそ、この歌は100点なのだろう。

内省的過ぎたJ-POPを、普通に戻した彼らの“エロ”

 WANIMAの予備知識なしにここまで読んでくれたヒトは、このバンドが清廉潔白な絵に描いた好青年バンドと、そう映ったかもしれない。しかし彼らのファンの間で浸透しているもうひとつの軸は、このバンドの“エロかっこいい”ところなのである。その代表的なものとしては、「いいから」が挙げられるだろう。

この歌は、男女のセックスを歌っているのだが、ここ最近のJ-POPの主流には、あまり見られなかったものだった。しかし70年代80年代には、普通にあったのである。そもそも黒人のブルースには、こうした名曲が多く、その影響下にロックは広がったし、日本にも「春歌」というジャンルがある。そもそも人類の子孫繁栄に関わることなのだし、こうしたタイプの歌がなくなること自体、不思議なことなのだ。

なぜそうなったのかというと、いわゆるJ-POPの主流のテーマが“自分探し”とかっていう、内省的なものに傾き過ぎていたからかもしれない。本来、こういうものも、混ざってていいわけだ。さらに彼らがこういうテーマを歌うのは、さきほど紹介した、亡きおじいちゃんに捧げた「1106」とも、動機としてはさほど変わらないのかもしれないのだ。“世の中を斜にみたりせず、思ったことを作品にしてきたからこそ、こうしたテーマにも自然に行き着いた”、ということでは、まったく同じなのだろう。

「いいから」の歌詞を眺めてみたい。でもこういう内容の歌詞を、冷静に目で追っていくのは不思議な体験である。まるで校門に立つ風紀委員であるかのように、歌のエロ度をチェックしつつ目で追う自分に、虚しさを感じたりもする。こういうのはビートに乗ってこそ、だからだ。でも最後の行まで読むと、確かに肉体は「合体」してるけど、そう簡単に男女の心はひとつになるわけではないのだな、という、教訓のようなものも響いてくる。男の側からの歌だが、「女性というのは謎の生き物だ」というのが、結論なのだろう。

本来なら密室の秘め事を、青空のもと、おおっぴらに大声で歌っちゃう公序良俗逆転現象にこそ、「いいから」という歌の快感がある。「歌、あくまで歌なんだからさ、コレは」という、そんな免罪符とともに…。冒頭の歌詞などは、その“密室感覚”へと、上手に誘う構成になっていて、実にアッパレである。

追伸.
 「いいから」には[軋むベッド]という表現がある。これは尾崎豊の「I LOVE YOU」からの影響ではなかろうか(向こうは軋むじゃなく“きしむ”だけど)。 なんかそんな気がするのである。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
前はけっこう、下らないことも近況として投稿してたFB。しかし最近は、めっきりやらなくなってしまいました。ところがこないだ、ひさしぶりに見に行ってみると、投稿する際に、いろいろ背景の色が選べる機能になっていたことにビックリ。より利用される方には今更、でしょうが、その背景のひとつにトラの写真のものがあり、ふと、羨ましいなぁ、と…。なにが羨ましいかというと、野球の話でありまして、そのチームのファンのヒトは羨ましい、と。ここはぜひ、ベイスターズのファンにぴったりなものも考えて欲しいなぁと思ったのですが、どういうものが相応しいのかまで、頭が回りませんでした。話変わって夏フェス参戦予定ですが、今年は2か所のみ、です。