第47回 小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」
photo_01です。 1991年2月6日発売
 CDが売れない時代と言われるが、小田和正のベスト・アルバム『あの日 あの時』は好セールスを続けているようだ。お気づきの方も多いと思うが、今回のベストのタイトルは、大ヒット曲「ラブ・ストーリーは突然に」のサビの歌詞から取られている。そしてある年代の方は、この曲が主題歌だったドラマ『東京ラブストーリー』を思い浮かべるかもしれない。ちなみに原作者である柴門ふみが、先頃あの物語の主人公達の25年後、つまり現在の姿を描いた短編を発表し、話題となった。 J-POPの歴史を繙(ひもと)くならば、この曲はエポックメーキングな役割を果たしたことで知られる。「90年代はドラマからヒットが生まれた時代」と言われるけど、キッカケはこれだった。この曲が大ヒットしたことでドラマ主題歌が俄然注目され、タイアップにより多くの名曲が生まれた。そして小田は、その後も「伝えたいことがあるんだ」や「キラキラ」など、ドラマから多くのヒットを生み出している。

“三連の嵐”は“CX”になり、そして…。

 ついこんな見出しをつけてみたが、“”内はどちらも「ラブ・ストーリーは突然に」の仮タイトル的なものである。この大ヒット曲が誕生するまでには、興味深いエピソードがたくさんあるので、紹介しよう。そもそもの発端は、小田がソロ活動を始めるにあたってコンサートで共演するミュージシャンを集め、バンドを誕生させたことだった。それは「ファーイースト・クラブ・バンド」と名付けられた(ちなみに小田の事務所の名前が「ファーイースト・クラブ」である)。さらに、せっかくバンドが出来たのなら、名刺代わりに曲をレコーディングしてみるのはどうかということで、「ファーイースト・クラブ・バンド・ソング」が誕生する。
それを知ったレコード会社の担当は、小田の待望の新曲ということで、より世間に広めるためにも業界に対してプロモーションを開始する。そして行き着いたのが『東京ラブストーリー』の制作チームだった。このドラマの主題歌にどうだろうと打診したところ、相手も好感触だった。

当初、小田自身はこの動きを静観していた。すでに曲は作ってあるわけだから、自分がやるべきこともない。しかし担当から伝わってくるニュアンスは、いまいち煮え切らない。どうやら先方は、自分の曲を使うのなら“こんな曲を…”という、具体的な要望を持っていそうだったのだ。
それはすでに渡してあった「ファーイースト・クラブ・バンド・ソング」ではなく、どうやらオフコース時代に作った「Yes-No」のような、エイト・ビートの軽快な曲のようだった。の、ようだった、という表現を使っているのは、直接小田が相手と話したわけではないからだ。でも、もしそうならば相手の意向を汲み取って、新たに作品を書く決意をする。オフコース時代はタイアップなどということには消極的だった彼も、ソロとなり、それまでNOだったこともYESと捉えるようになっていた。そのドラマはフジテレビが制作するものであり、業界ではこの局のことを「CX」と呼ぶことから、曲の仮タイトルも「CX」とした。失礼ながら、実にベタである。でもそれだけ目指すべきものに対して迷いがなかった証拠だろう。

 さて、ここで本コラムをお読みの方々は、「“CX”は分かったけど、“三連の嵐”のほうはどこに行ったの?」と思ったかもしれない。話を続けよう。その時、小田がまったくゼロの状態から新たな作品に取り組んだのかというと、このあたりは微妙である。というか、ソング・ライターというのは“作品のカケラ”のようなものだったら常に幾つか持ち合わせているのが普通だ。“♪フフ〜ン”と口を突いて出た何小節かでもあっても、それはリッパな“カケラ”なのだ。曲作りのキッカケとなることも多い。“三連の嵐のような…”。ふと小田は、移動中の電車のなかで浮かんだアイデアを、そんなふうにメモしていた。車窓の景色が人の気持ちを静より動へと誘う、そんなシチュエーションもあってのことだったかもしれない。そしてこれが、「ラブ・ストーリーは突然に」の大きなヒントとなるのだ。

三連とは、タタタ・タタタと連なる三連符のこと。英米のポップスというより、イタリアのカンツォーネなどによく見られる特徴で、小田が十代の頃に聴いた洋楽のなかには、特に珍しくもなく、英語の歌のなかに同居していた。「ボラーレ」は世界的にヒットしたし、「アルディラ」といった、個人的にお気に入りの曲もあった。いつかそんな雰囲気の曲を書きたいとも思っていた。
このドラマ主題歌の話により、それが具体化した。でもただの三連ではなく“嵐のような…”ということは、カンツォーネでも、特に情熱的なイメージである。思えば『東京ラブストーリー』の登場人物達も、実に情熱的に生きていた。このドラマなら、そんな曲がぴったりだろう…。そして“あの日 あの時 あの場所で”という、実に有名なサビの部分、まさに“三連の嵐のような”フレーズを含むこの名曲が誕生したわけである。

小田流の「読心術」炸裂か!?

 改めて曲を聴いてみよう。“♪ジャカジャ〜ン”と炸裂するギターで始まったあと、イントロにたっぷり時間が取られている。しかし頭の中が整理出来ないままそれも終り、Aメロが始まるので仕方なく(?)歌い始めたので冒頭の歌詞が“何から伝えればいいのか”になったのだという解釈も、成り立たないこともないあたりが秀逸だ。そのあとの歌詞に“浮かんでは 消えてゆく”という表現も出てくるし、まさに長めのイントロがその頭の中の混乱状態を体現していたと思えば、ナルホドナルホドなのである。
相手があんまり“すてき”だから素直に“好きと言えない”のあたりは、もしそのまま相手に言葉にして伝えたのなら、告白側の自信もこもった口説き文句となるだろうが、この場合、どうやら内気な主人公の胸のなかに留まっているだけの感情のようだ。そして遂に、あのサビの“あの日 あの時 あの場所”なのだが、そのあとの歌詞…、つまり“会えなかったら”→“見知らぬ二人のまま”という、なんの変哲もない当たり前で当たり前すぎる表現の意図はなんだったのだろうか。

思うに、この段階でもうすでに、主人公の心の大半を“すてき”すぎる相手が占領してしまっていたのだ。そんな状態こそが大前提となっているから、会えなくて見知らぬままなどということは、もはや天と地がひっくり返っても1ミリも考えられないことだ。それを表現するメタファーもアイロニーもインプリケーションもこの世の中には存在せず、そのため当たり前で当たり前すぎる表現に行き着いたのだ。
ただ、相手に対して高田純次のような無責任男的口説き文句など出てこないこの歌の主人公には、お堅いがゆえ、口下手ゆえ、だからこそ発達したものがある。それは相手の心を読む技術である。歌詞でいえばそう、“今 君の心が動いた”のあたり…。先ほどこの曲はドラマ制作サイドの要望を汲み取り書かれたものだと言ったけど、それが“「Yes-No」のような”であったことは先ほどもお伝えした。そのことを想い出して欲しい。そう。あの曲にも確かに、会話に頼らなくても相手の心が読み取れる、そんな主人公が描かれているのだった。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。
でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
今回このコラムのテーマが小田さんになったのはたまたまなのですが、ここ最近はすっかり
小田さんづいてまして、その中でも特にオススメはベスト盤『あの日 あの時』の時に作って
店頭で配布したリーフレット!本人に全50曲を語っていただくために長時間インタビューして、
文字数も数万字…。まとめ終わった時は、まさに“やり切った”感に包まれました。