第4回 オフコース「言葉にできない」
photo_01です。 1981年12月1日発売
 この人が新たな活動を始めると、「最年長記録」と騒がれる。1947年生まれでこれほど精力的な活動をしている人は皆無なので、それも仕方ないことだろう。
ただ、小田和正は単に長くやることを目的としているわけではない。自分が納得出来ることを続けてきた結果が今の姿だし、それは音楽を受け取る側に、強い信頼感となり伝わる。ツアーをやれば大きな会場を満員に出来るのは、その信頼の積み重ねに他ならない。

最初からこれほどの支持はなく、徐々に「時間が作ってくれた歌」だった

 オフコースの一員として活躍し、やがてソロ活動を始めた小田だが、バンド時代の作品もセルフ・カバーの甲斐あって、若い世代のファンにも馴染みあるものとなっている。中でもこの曲、「言葉にできない」は、もっとも人気のある作品のひとつである。
小田はこの楽曲のことを、「時間が作ってくれた歌」と表現する。実は、最初からこれほど一般的な支持を得ていた楽曲ではなかった。彼がオフコースに在籍中の1982年。歌は発表された。それは5人のメンバーとしての最後のツアー(終了後にメンバーの鈴木が抜ける)で、終わっていくことの悲壮感も含め、ファン一人一人の胸にパーソナルなものとして受け止められたのがこの作品だった。小田自身もこの歌を、バンドとして、というより、自分寄りの気持ちで書いたという。それが幅広い層に支持されるものとなったのは、1999年になって保険のCMで採用されてからだ。その後、長期に渡り、この曲はお茶の間に流れ続け、いまや小田和正の代表曲といっていい。

 初めて聴いた人は、サビの部分に歌詞がないことに衝撃を受ける。実はぼくもそうだった。“♪ラ〜ラ〜ラ〜”。ただ、そう繰り返されるだけなのだ。歌詞はないけど、その部分にこそ、様々な感情が浮かんでは消える。オフコース時代は、サビから始まるヴァージョンのものが演奏されていた。今は弾き語りで歌われることが多く、イントロなしにAメロから始まる。その違いはあるが、“♪ラ〜ラ〜ラ〜”がこの歌の重要部分であり、そこに衝撃を受けることには変わりない。

「そもそも歌というのは、歌詞がないほうが強いんじゃないか?」

 どのように誕生した歌なのだろうか。拙著『小田和正インタビュー たしかなこと』のなかにも詳しいが、改めて要点をまとめてみたい。まず、小田は最初から「言葉にできない」感情をテーマに曲を作ろうと想ったのだろうか。それとも、“♪ラ〜ラ〜ラ〜”という部分のアイデアが、最初からあったのか…。
実は、このスキャットのところが真っ先に浮かんだものだった。ただ、普通なら次の段階として、「そこにどんな言葉を乗せればいいか?」と考えるだろう。しかしその日の小田は、これはこのままでいいのではと考える。「そもそも歌というのは、歌詞がないほうが強いんじゃないか?」という想いもあってのことだった。当時のオフコースが、シンプルで力強いものを目指していたこともあり、そんなバンドの動向とも合致した。

 “♪ラ〜ラ〜ラ〜”は、敢て歌詞を探すのではなくそのまま残る。そこからメロディを拡げていくうちに、“♪こころ 哀しくて”と“♪言葉にできない”を含むブロックを思いつく。「最初に出来たのはこの部分」と小田は回想している。 実に興味深いのは、最終的に曲のタイトルとなる「言葉にできない」という言葉は、たまたま出てきたものだったということだ。ここがソング・ライティングの神秘的なところでもある。便利な言葉を使ってしまえば、潜在意識がなせる業、というか…。
さらに、言葉にできないような感情には他にどんなものがあるのか、という類推から、後半の歌詞の“嬉しくて”も思いつく。

“♪ラ〜ラ〜ラ〜”の部分こそが最も濃い感情をたたえている

 歌詞の一部分がスキャットになっている歌というのは珍しくない。ただ、それらの歌は、その部分になると歌の世界観が淡くなることが多い(イメージが広がる、という言い方も出来るが…)。しかし「言葉にできない」は、“♪ラ〜ラ〜ラ〜”の部分こそが最も濃い感情をたたえている。聴いている私たちは、まさに“言葉にできない”からこそ“♪ラ〜ラ〜ラ〜”なのだなという必然とともにこの歌を受け取り、大いに感動するのだ。

 さぞ他のソング・ライター達は悔しいだろう。こういうアイデアは、二度と使えない。でも、この歌が誕生するに至ったのは、小田が自分の中に芽生えた「そもそも歌というのは、歌詞がないほうが強いんじゃないか?」という想いに忠実に、一切そこからブレずに楽曲制作したからなのだろう。
機会があったら、ぜひこの歌を、実際に生で聴いてみることを勧めたい。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。