中高生時代に描いた“青春”の、その先の日々が輝く全10曲!

 詩とロックとポテトを愛する18歳のシンガーソングライター“坂口有望”がニューアルバム『shiny land』をリリースしました。前作『放課後ジャーニー』は、中高生時代だからこそ描けるみずみずしい“青春”を詰め込んだアルバムでしたが、今作で輝いているのは、上京し大学生になった彼女が、青春のその先で見つけた新たな景色や感情の数々です。インタビューでは、曲に込めた想い、今のモード、理想の恋愛像、作詞論などなど、じっくり語っていただきました!

(取材・文 / 井出美緒)
LION作詞・作曲:坂口有望わたしを笑い飛ばした陰を 風が笑い飛ばす日を待とう
涙が溢れてもラメになる 明日へ飛び立つ勇気を纏う
わたしを笑い飛ばした陰を 風が拭い去っていくだろう
涙も悔しさもバネになる 明日へ飛び立つ勇気を纏う
夢見ていたあの場所まで わたしの道を歩いて
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家を片付けていたら、幼い字で書いた詩集のようなものが出てきて。

―― 有望さんは、13歳・中学2年生のときに初ライブを行うなど、かなりお若いうちから音楽活動をされていますが「歌手になりたい」と思うほど、音楽に心を動かされた最初の記憶というと?

多分、小学校の高学年のときですね。クラス内でグループに分かれて出し物をするという会がありまして。私は5~6人のグループのなかのひとりで、当時流行っていたAKB48の曲を歌って踊ったんですけど、もともとはその友達とあんまり打ち解けらていなかったというか、そんなに仲良くなかったんです。でも初めてその出し物を披露したとき、すごく歌を褒めてもらえて。幼い頃から歌うことは好きだったけど、ひとに伝えるために歌うって面白そうだなって思ったんです。その会がなかったら、もしかしたら歌手になってなかったかもしれないですね。

―― プロフィールには【詩とロックとポテトを愛するシンガーソングライター】とありますが、歌詞の前に“詩”も好きだったのでしょうか。

そうですね。小さい頃から文字を書くのが好きで、授業で書かされる短い詩だったり、読書感想文だったり、ひとつひとつにものすごく力を入れていました。ちゃんと言葉で何か自分の気持ちを伝えたり、表現したりしたかったんですよね。それが今、歌詞を書くことに繋がっているなと思います。

―― では、ノートの隅にオリジナルの詩を書いたりもしていましたか?

photo_01です。

書いてました書いてました!私が「自分は言葉を書くのが好きなんだ」と意識し始めたのは、小学校5年生ぐらいのときだったんですね。でも実は、それよりもっと前から好きだったみたいで。家を片付けていたら、幼い字で書いた詩集のようなものが出てきて。幼いながらに「昨日には戻れないけど、今日は今まででいちばん新しい日やねんから…」みたいなことを書いているんですよ(笑)。それを見たときにはビックリしましたね。

―― オリジナル曲を作ったのはいつ頃ですか?

初めて書いたのは、中学2年から中学3年になる13歳のときでした。いちばん最初にライブをやったときにはまだオリジナル曲がなかったんです。でもそこのライブハウスの店長さんに「書いてみたら?」って言われて。初めて書いたのが「おはなし」という曲なんです。

―― 有望さんは、クリープハイプ「二十九、三十」のカバー動画も話題となり、YouTubeではすでに100万再生を突破しております。何故この曲をセレクトされたのでしょうか。

この歌は、29歳から30歳になるときの気持ちが歌にされているじゃないですか。で、カバーさせてもらった当時、私は14歳から15歳になるタイミングやったんですね。なんか…二分の一の年齢である私がこの曲を歌うことに意味があるんじゃないかな、面白いんじゃないかなと思ったんです。あと、大人の曲やけど、すごく当時の自分も共感したし、刺さったので、これは歌わなきゃと。それで路上ライブではずっと自分の曲のように歌わせてもらっていましたね。

―― 他にも、歌詞面で影響を受けたアーティストはいますか?

チャットモンチーさんにはすごく影響を受けました。歌っていると、歌詞から絵が見えるというか。音楽を聴いているのに、映画を観ているような気持ちにさせてくれるのが歌詞の力やなと思って。とくに「湯気」って曲が好きなんですけど、もう一行目から景色が見えて、曲が流れるのにつれて、その主人公と一緒に生きているような感覚にさせてくれるんです。チャットモンチーさんの曲は、今でもライブ前によく聴いたりしています。

―― 早くから活動されてきたことで、やはり「シンガーソングライター」の前に「中学生」「高校生」という肩書きがついてくる時期もあったかと思いますが、その若さが嫌になることはありませんでしたか?

あー、でもやっぱり動画だけがひとり歩きして、SNSで拡散されても「この年でこれだけ歌えるのはすごい」みたいなコメントが多くて、何より年齢が前に来ちゃうというか。純粋に自分の音楽を評価されてないような気持ちはありました。だからできるだけ制服でライブはしなかったりとか、高校生ではあるけどひとりのアーティストとして見てもらえるような努力はしていましたね。

―― 大学生の現在は、どんなモードなのでしょうか。

まず、高校を卒業して「高校生」って肩書が外れたプレッシャーというよりも、やっと「年齢にしてはいいね」っていう声がなくなって、ちゃんと評価してもらえるという嬉しさが大きいです。あと大学生になっていちばん変わったのが、学びたいことを学べる環境になったこと。今、英文学を専攻しているんですけど、高校の頃よりも学びが音楽に繋がっている実感があります。私は英語の曲も日本語の曲と同じくらいに表現できるようになりたいという想いがあって。それで英文学を選んだのですごく楽しいですね。

―― 中学の頃に初めてオリジナル曲を作ってから、歌詞面で何か変化を感じるところはありますか?

最初のアルバムなんかは、曲を書き始めて間もなかったからだと思うんですけど、自分が実際に思ったことや共感したこと、実体験じゃないと歌えなかったし、書けなかったんですね。でも今は誰かの気持ちを代弁して歌うということが、器用にできるようになった気がします。友だちの話を聞いて、それをもとに歌を作ることもありますし。

―― 上京して大学生になった環境の変化も、大きいのかもしれないですね。

そうだと思います。とくに私は中高一貫の女子高だったので、10代の女子だけがあれだけ集まるという特殊な環境で6年間を過ごせて、そこで生まれる曲がほとんどだったんですね。それはそれですごく貴重でした。でも今は、東京に出てきて共学の大学に通っていることで、かなり視野が広がっていて。あと、英文学を勉強するなかで芸術にインスパイアされることも増えてきたので、文学の世界に入り込んで作ったりとか。今後もっといろんなタイプの歌詞を書けるようになりたいですね。

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